遊劇舞台二月病

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「怨恨」や「妬み」と訳されることが多い「ルサンチマン」という言葉があるが、哲学においては通常の意味とは少し違う意味で用いられる。

もともとはニーチェが哲学の用語として用いたことが始まりである。弱者は実際には強者に敵わないことから想像上で復讐しようとする。その際に抱く感情を「ルサンチマン」と呼んだ。すなわち「負け惜しみ」と言えるのかもしれない。

強者は自らを善だと思い込み、弱者は悪だと評価する。弱者は強者に楯突いても、その関係を逆転できないことから強者を憎むことになる。

そこで弱者は自らを善だと思い込む。楯突かないのは善良だからであり、臆病なのは謙虚だからであって、服従を恭順なのだということにする。

ニーチェはこれこそが弱者を擁護するキリスト教の道徳であるとして、このような転倒した道徳を「奴隷道徳」と呼んで非難したのである。そこにはルサンチマンしかないというわけだ。



話は変わるが、私は高い確率で信号に引っかかる。横断歩道に着いた瞬間、車道の信号が青になったりすることは日常茶飯事である。余計に歩道の青信号を待つことになった腹立たしさを毎日感じている。

女の子とデートすることになればを高い確率で待たされることになるし、車の運転中に良きタイミングで右折できないことは当たり前のレベルだ。

正直、ことあるごとに「待つ」ということに憎悪の念を感じずにはいられない。

しかし結局、信号も遅刻する女の子も自分を取り巻く何かであって、それなしでは自分は誰かと関係性を築くことはできないのだなと一人で納得する。生活する様々な局面で自分以外の何かや誰かは、「強者」であることが多々ある。

赤信号無視したら事故になるし、遅れてきた女の子を無視したら嫌われるのだ。自分の抱いているものは「様々な強者」と自分の想定とのはざまで生まれたルサンチマンであるのだ。


何よりルサンチマンなのは、時間というものは私がこんなに逐一待っているのに待ってくれないということだ。



遊劇舞台二月病 第悟回公演、本番はいよいよ来週末だ。時間は待ってはくれないルサンチマンだけに、週末の練習を頑張る所存であります。


ご予約いただいている皆様、誠にありがとうございます。

皆様の本番に対する「待つ」ことのルサンチマンを生み出せるように、自分自身精一杯宣伝させていただきます。




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2014.10.03 00:58 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
1954年11月、アメリカのサン・クエンティン刑務所で、囚人1400人を観客として、ベケットの『ゴドーを待ちながら』がサンフランシスコ・アクターズ・ワークショップの劇団員により上演された。

前衛劇として名高いこの作品がなぜ刑務所での上演作品に選ばれたのか。理由は、女優がいなくても済む作品を探したらこれしかなかったからだった。

この難解な前衛劇が果たして囚人に理解できるのかと関係者は心配したが、終演後に囚人に話を聞いてみるとこんな言葉が返ってきた。

「ゴドーというのは、つまり娑婆のことだ」

ゴドーを待つ登場人物に、囚人たちは出所を待つ自分たちの状態に重ねていたのかもしれない。

このことは、観客は現在の状況によって前衛にすらついてくるものだ、という例証の一つと言われる。



表現における、提示する側と受け取る側の関係性は先程述べたように、それぞれの状況により様々であるが、そこには資本主義社会における需要と供給のサイクルにも似た相互関係がある。

例に出した演劇以外にも、文学においての作者と読者、美術における画家と観賞客、ラジオパーソナリティーとリスナーといった関係性は、提示する側と受け取る側の双方のアプローチが理想とされている。

神の見えざる手に導かれるかのように、囚人は『ゴドー』に対してそれぞれの立場からアプローチを行い、刑務所をアングラ劇場よりもアングラ的にしてしまった。

社会のサイクルとは一線を隠しているように見える表現にも、きわめて資本主義的な構図を描くことができる。


逆に考えるならば、社会生活の中にも表現の要素があり、それが社会のサイクルを担っているという意見も生まれる。




そして、今日の昼である。

私はたまたま、笑っていいともをみていた。

クイズのコーナーで、ある会社の社長が「〇〇をアクセサリーにしたらバカ売れ、さて〇〇はなんでしょう」という問題が出題されていた。

昼飯を食いながらみていると、正解は食品サンプルだった。

フルーツでできたネックレスが映り、厚切りベーコンのピアスがアップになる。さらには焼きそばみたいなやつの髪飾り、これらがいいとも曰く、バカ売れらしい。

渡辺直美が髪飾りを付けて、観客から「かわいー!」と黄色い声を浴びている。

私は眉をひそめずにはいられなかった。

「かわいいか!? あれ!」

先の一遍を踏まえるならば、このテレビから聞こえる黄色い声はどのようなアプローチの結果なのだろうか。神の手も手元が狂ったか、あるいはこれも神の手の指し示すことなのだろうか。

思えば、バブルの頃のプロデューサー巻きが再び流行っている。レインブーツってあれ要はゴム長靴でしょ。

「神の見えざる手」はもはや、「何処かの誰かの見えざる手」なのかもしれない。

そんな人ばかりではないだろうが、我々は焼きそばを頭にのっけてるのを見て「かわいー」と叫ぶ連中にどのようにアプローチをすればいいのだろうか。

そんな連中はほっとけばいいのか。そうだとしたら、表現は社会のサイクルにのまれてどうにかなってしまうのではないか。


刑務所の『ゴドー』のようなアングラよりもアングラ的な光景が、表現よりも表現的な光景が消えてしまうのではないか。


昼時にこんな複雑な心境になるとは思わなかった。今年度で終了する長寿番組の真価を見たような気がした。


2013.10.28 22:18 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
本番まで一ヶ月を切り、稽古も追い込みに入ろうとしている。

ウイングカップに向けて、稽古に合わせて自分自身も追い込んでいかなくてはいけない。



しかし図らずも私は公演とはまったく関係ないところで自分を追い込んでいた。


近所にとってもおトクな店がある。

聞いた話では、おかずはビュッフェ方式。大皿に一回しか盛ることは出来ないが、盛り放題。
ごはんと味噌汁、カレーはお代わり自由。

これがなんと500円という驚愕のメニューがあるという。


帰宅途中、気になったので聞いたところに行ってみると、そこは立体駐車場を完備した大型パチンコ店であった。

辺りを見渡すと、パチンコ屋のフロアーの一角に店がある。

「食べ放題500円」のチラシが張られているのを見つけて、自転車を止めると店の自動ドアを押した。

反応の悪い自動ドアを無理やり横に引いてくぐれば、小さな店の中に皿が並べられていて、傍らには取り皿とナプキンと箸が備え付けてあった。

500円でビュッフェの食券を買って、皿に料理を盛りまくった。

ミニチーズインハンバーグをごろごろとさらに放り込み、サラダを皿の一角に敷き詰める、フライドポテトとカニクリームコロッケ、エビフライ、鶏のから揚げといった揚げ物シリーズを並べ、さらにエビチリで彩りを添える。ポテトサラダは何度も盛るうちに握り拳サイズになっていた。そしてごはんを山盛り一杯。
席に付いた時には皿はずしりと重かった。
食べ始めるとすぐに店員さんが「ロースカツと春巻なかったですね。すぐに作ります」と言ってくれた。
晩飯には十分の味とボリュームを堪能した。

そして各種料理と野菜とごはんを半分も食べないうちに私の心は重たく沈むことになる。


取りすぎた……


すでに胃袋は八分目まであと一歩。皿にはまだまんべんなく自分が取った料理が残っている。

重たくなっているのは心ではなくお腹だと気が付いしまえば、箸までもが重たくなる。


皿を見てみれば、から揚げはエビチリとハンバーグのソースが付いて味付けされているし、ポテトもまだ残っている。拳サイズに盛ってしまったポテトサラダはまさに拳骨を放たんばかりである。

店の壁には残すの厳禁と書いてあるし、料理取ったのは自分なのだから、この胃の重みは自分の責任だ。あ~失敗したと顔を上げれば、壁の注意書きが改めて私を責め立てる。



思えば、自分はこんな行動でいつも苦しんでいる。自分の不注意、自分の怠慢、自分の過信、いつまで私は自分自身に苦しめられているのだろうか。

これまでの無精で怠惰で傲慢な自分と決別するために、自分の責任は自分自身で取ろうではないか。皿に盛られた料理を平らげれば、きっといいことがある。

そう思い、左手を固く握って、箸を進めた。心地よい明日がこれを平らげれば待っていると信じて……幸せへの試練だと思いながら、自分で取った料理を自分で食べる。

俺は必ず幸せになる。栄光の明日が待っている。

先程の店員が揚げたてのロースカツと春巻を持って来た。

これも試練か、大いに結構!

追加されたが構うものか!

これは俺と俺自身の闘いなのだ! 俺は、俺はまだまだこんなもんじゃない!



自分自身を食事により追い込むことになるとは誰が予想しただろうか。

胃ははち切れんばかりだが、動いていれば徐々に消化されているのかその重みを忘れられる。

ゲップすら心地よく感じる夜風に頬を撫でられ、煙草に火を着ける。

街の明かりで紺色になった夜の空を見ながら自転車をこげば、脇腹が鈍く痛む。

自身との闘いを終えて思った。


「500円であれは安いな……」



2013.10.22 21:29 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
薄暗い部屋の中、一人でぼーっとしているといろいろなことを思い出し、考える。
もう三年程前になるが、大学の演劇部のメンバーのほんの一部のさらに片隅で「日マニ」が流行った。

「日マニ」とはなにか・・・人気ロックバンド「THE 日本マニア」の通称である。
ボーカル、パープル健一
ギター、グリーン向井
ドラム、ブルー浜村
ベース、マニア政宗

この4人で結成され、デビューシングル「その心はI love you」が大ヒットとなり、現在までの発表された曲は200曲以上。
現在も音楽以外にも映画やエッセイなど精力的に活動している。・・・という設定の妄想である。


ある男がmixiのコミュニティーまで作ってしまったおかげで、妄想の進行に火がつき、各キャラクターの詳細プロフィールが出来上がり、メンバー4人以外のプロデューサーやマネージャー、ライバルバンドのキャラクターまでが誕生した。

驚いたことには、ブルー浜村の熱狂的ファンで身長202cm、体重99kgという特異なキャラクター、ドグラマグラみち子がその独特のネーミングと恵まれた設定から一人歩きをはじめ、気がつけば彼女を主人公にしたスピンオフ作品がひとつ出来上がっていた。

週刊ジャンプに掲載されていた「ピューとふくジャガー」のような世界観で主要人物とはある意味関係ないキャラクターまでが続々と生み出された。


発表した曲が膨大になったのは、それぞれが考えた感性を揺さぶるフレーズをタイトルとしてはじめは考えていたが、いつの間にか普段思ったことをつぶやくプチツイッター状態になってしまったからに他ならない。


最近テレビなどで放送されているシチュエーションコメディー番組なんかを見ていると、我々の妄想が生み出したこの「THE日本マニア」もなかなかいけるんじゃないのかと考えてしまう。

各キャラクター設定は自慢じゃないがしっかりしている。気がつけばみち子が一人歩きをしているほどだ。
バンドという主要メンバーを関係付ける設定もあるし、ライブ前の控え室という場所の設定でストーリーを組み立てられるのではないか。




ぼんやりとそんなことを考えてしまう自分は世間のいろいろな部分をなめくさっているのだろうなと、冷笑してトイレから出て仕事場の自分の机に戻るのだった。


2012.10.22 00:07 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
森見富美彦「太陽の塔」を読んだのは、高校二年生の頃だった。

大学五回生が主人公の物語で、見た目も内面も名字も個性的なキャラクターたちが、京都の街で迷走する。主人公の下宿で酒を酌み交わし、研究と称したストーカーまがいの活動や、ライバルストーカーとのいやがらせ合戦が展開され、没個性が蔓延する自分の高校生活に衝撃をもたらした。


大学はなんて楽しそうなところなんだ。大学生になればこんな大スペクタクルな生活が始まるのかと胸を躍らせた。

なにを隠そう高校生の時点で自分は独特な地位を確立しており、その地位を自分でももてあます次第であった。他のクラスメイトが読まない本を読み、映画を観て、音楽を聴き、あさっての方向に世界を妄想した。自分にとっての大学デビューとはこの自分でももてあましている地位を駆使して、いかに有意義に大学生活を送るかということが最大のポイントであった。しかし実際なにをしたらいいのかよくわからず、結果ずるずると地位をもてあましたまま大学も卒業してしまった。


とは言っても大学生には高校生にはない自由と責任があり、授業をさぼってカラオケに行き、友達の家で酒を飲み、演劇部の部室に入り浸る生活も「太陽の塔」のキャラクターたちに通じるものがあり満足していた。

「大学生の醍醐味は授業をサボることにある」という自分の観点は決して、この大学生活を個性的に送ることにおいて間違ってはいないと思っている。

大学を卒業して就職してみれば、また没個性な生活が始まった。スポコン的姿勢が求められ、いままで自慢じゃないが個性だけでいろいろやってきた自分にとっては短期的目標と長期的目標の狭間で計画を立て、効率化を図り、結果を出すという作業はなかなかに難しく、まぁいっか、ですませば当然怒られるという常識に直面してテンションが下がるというわがまま爆発の日々を過ごしている。

大学生の頃は部活が楽しくて、授業もおもしろくて、部室でだらだらする日々の中でテレビゲームに明け暮れ、大学近くのお店の弁当に舌鼓を打っていた。懐かしむほどの年数も経っていないが、懐かしくて、当時の自分が羨ましい。

さらに最近は夏になり、窓の外から聞こえてくる蝉の声で起きれば、小学校の頃の夏休みを思い出す。友達と蝉取りをした夏休み、プール開放の日にサンダルで小学校に向かう夏休み、夏休みこども劇場でアニメの再放送を見る夏休み、その流れで名探偵コナンの再放送も見る夏休み。

あの頃はなんにも考えてなくても楽しかったなと、窓から入ってくる蝉の声と朝日の中でカレンダーに目をやれば、もう八月になっていた。

本番までもうすぐやないか・・・
2012.08.05 02:20 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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