遊劇舞台二月病

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お久しぶりです!寺井です。
更新できず、前回公演で止まっておりましたね・・。せっかくの情報機関を利用しないとはもったいないと痛感しております近頃・・。

実は客演としてこの春、舞台を経験させていただきました。
空の驛舎「追伸」という作品です。
沢山の素敵な出会い、特別な想い、向き合い方の再確認など充実したものでした。
観に来ていただいた皆様、関係者様、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

ご挨拶遅れました・・。もう5月も半ばに入ろうとしているのに!


二月病でのお客様も沢山観に来てくださり、二月病とは違う芝居を見て頂けた事、足を運んでくださった事、感謝でいっぱいです。初めてのホールで劇団員やお客様と終演後会うのはとても新鮮な気持ちでした。



さてさて、遊劇舞台二月病もっ次回公演に向けて走り出しています。
詳細は決まり次第随時HP、twitter、ブログなどでお知らせできるようにしていきます!

いきなりですが、劇団員が増えました!


ルーデルマン大地さんは、前回公演から正式に(?)劇団員になっております。
扱いが雑でしょうか?いえいえ、これも劇団員に対する愛です。へへへ。
新たにぱみゅこと三村優里花が劇団員に!
前回の「劣等”line」にてはるちゃん役していた可愛らしい女の子です。
うちには居ないタイプの女性で見事にかぶってる女性のタイプ居ないな~と。

より取り見取りですので、是非稽古場見学に来てくださいね!
HP、ブログなどのメールフォームからでも連絡ください!




これで二月病何人いるんでしょうね・・。
人が増える、入りたい!と言ってくれるのは嬉しいですね、それと同時に私も先輩になり初めは一番年下だったのにいつのまにか下にどんどん増えてきている。そして女性が少なかったのに今は半分半分に。
男性ももちろん募集していますので興味がありましたら是非とも遊びに来てください。



それでは次の更新が出来るように頑張ります!




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2015.05.13 14:03 | 寺井幸菜 | トラックバック(-) | コメント(0) |
皆様あけましておめでとうございます。
昨年個人的には劇団員、昔から参加している劇団などに多大な迷惑をかけた一年でした。

昼か夜かもわからない日々を少し抜けて見えてきたものもたくさんありました。
たくさんの人と知り合い、助けられお話をし、人脈も見える範囲も増えた年でした。


今年は抱え込まない!
そして少しでも自分の欲を少しだけ出していけたらいいなと思います、
劇団としては後1か月にて二回目の第誤回公演が始まります。
今年はそれだけで終わらせないという二月病。
目を離していたら会話どころか時間軸もわかならくなりますよ!

作品でも情報公開の場でも 笑


わたくし個人としては年もあけたのに年末とやること同じの仕事にとりかかり
小さいころは心機一転なにかと「初」をつけて
焼きつけるようにしていました。今は少ししか覚えてないけど‥。

今年の空、今年の夕焼け、今年の初めてのごはん!

なんて特別に感じていたのに時間に追われ
どうでもよくなっている自分に寂しさを感じました。


何かあるたびにワクワクしたい。
何かの雰囲気にドキドキしたい。
何か起きる前にびくびくしたい。それを年を重ねていっても
感じるようになりたい。浸りたい。
特別はそんなにないものなので、このお正月。
ちゃんとお雑煮たべて、家族と過ごし神社で家族の安全を祈り
今年を始めていきます。

母と父がひいたおみくじに
「ぶち壊すような事はしてはいけません」って書いてました。
なぜかつぼにはいった寺井。
なぜそこだけ現代文なんだろうとか‥


とにかく
未熟者の私ですが、無理してパンクしない程度に
自分がいい!と思ったものに関わっていけたらいいな。

それは、芝居でも、ダンスでも、歌でも、いつか入る会社にも・・。


今回のお芝居もまた賛否両論お受けすると思います。
それ覚悟しつつ厚かましいかもしれませんが見ていただきたいと思う。
毎回思うのですが、こんなフィクションだけど実態があることを目を背けず
すこーし考えてみてはいかがでしょう。そのきっかけでいい。

深夜テンションん(極寒のパソコン部屋)ですでに頭ぽーっとなりかけております故
久々のブログ終わりにしたいと思います、お付き合いありがとうございました!


これのアドレスから買っていただければ私のチケットになります(´ω`*)
https://ticket.corich.jp/apply/60310/002/
2015.01.03 03:53 | 寺井幸菜 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「怨恨」や「妬み」と訳されることが多い「ルサンチマン」という言葉があるが、哲学においては通常の意味とは少し違う意味で用いられる。

もともとはニーチェが哲学の用語として用いたことが始まりである。弱者は実際には強者に敵わないことから想像上で復讐しようとする。その際に抱く感情を「ルサンチマン」と呼んだ。すなわち「負け惜しみ」と言えるのかもしれない。

強者は自らを善だと思い込み、弱者は悪だと評価する。弱者は強者に楯突いても、その関係を逆転できないことから強者を憎むことになる。

そこで弱者は自らを善だと思い込む。楯突かないのは善良だからであり、臆病なのは謙虚だからであって、服従を恭順なのだということにする。

ニーチェはこれこそが弱者を擁護するキリスト教の道徳であるとして、このような転倒した道徳を「奴隷道徳」と呼んで非難したのである。そこにはルサンチマンしかないというわけだ。



話は変わるが、私は高い確率で信号に引っかかる。横断歩道に着いた瞬間、車道の信号が青になったりすることは日常茶飯事である。余計に歩道の青信号を待つことになった腹立たしさを毎日感じている。

女の子とデートすることになればを高い確率で待たされることになるし、車の運転中に良きタイミングで右折できないことは当たり前のレベルだ。

正直、ことあるごとに「待つ」ということに憎悪の念を感じずにはいられない。

しかし結局、信号も遅刻する女の子も自分を取り巻く何かであって、それなしでは自分は誰かと関係性を築くことはできないのだなと一人で納得する。生活する様々な局面で自分以外の何かや誰かは、「強者」であることが多々ある。

赤信号無視したら事故になるし、遅れてきた女の子を無視したら嫌われるのだ。自分の抱いているものは「様々な強者」と自分の想定とのはざまで生まれたルサンチマンであるのだ。


何よりルサンチマンなのは、時間というものは私がこんなに逐一待っているのに待ってくれないということだ。



遊劇舞台二月病 第悟回公演、本番はいよいよ来週末だ。時間は待ってはくれないルサンチマンだけに、週末の練習を頑張る所存であります。


ご予約いただいている皆様、誠にありがとうございます。

皆様の本番に対する「待つ」ことのルサンチマンを生み出せるように、自分自身精一杯宣伝させていただきます。




2014.10.03 00:58 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
1954年11月、アメリカのサン・クエンティン刑務所で、囚人1400人を観客として、ベケットの『ゴドーを待ちながら』がサンフランシスコ・アクターズ・ワークショップの劇団員により上演された。

前衛劇として名高いこの作品がなぜ刑務所での上演作品に選ばれたのか。理由は、女優がいなくても済む作品を探したらこれしかなかったからだった。

この難解な前衛劇が果たして囚人に理解できるのかと関係者は心配したが、終演後に囚人に話を聞いてみるとこんな言葉が返ってきた。

「ゴドーというのは、つまり娑婆のことだ」

ゴドーを待つ登場人物に、囚人たちは出所を待つ自分たちの状態に重ねていたのかもしれない。

このことは、観客は現在の状況によって前衛にすらついてくるものだ、という例証の一つと言われる。



表現における、提示する側と受け取る側の関係性は先程述べたように、それぞれの状況により様々であるが、そこには資本主義社会における需要と供給のサイクルにも似た相互関係がある。

例に出した演劇以外にも、文学においての作者と読者、美術における画家と観賞客、ラジオパーソナリティーとリスナーといった関係性は、提示する側と受け取る側の双方のアプローチが理想とされている。

神の見えざる手に導かれるかのように、囚人は『ゴドー』に対してそれぞれの立場からアプローチを行い、刑務所をアングラ劇場よりもアングラ的にしてしまった。

社会のサイクルとは一線を隠しているように見える表現にも、きわめて資本主義的な構図を描くことができる。


逆に考えるならば、社会生活の中にも表現の要素があり、それが社会のサイクルを担っているという意見も生まれる。




そして、今日の昼である。

私はたまたま、笑っていいともをみていた。

クイズのコーナーで、ある会社の社長が「〇〇をアクセサリーにしたらバカ売れ、さて〇〇はなんでしょう」という問題が出題されていた。

昼飯を食いながらみていると、正解は食品サンプルだった。

フルーツでできたネックレスが映り、厚切りベーコンのピアスがアップになる。さらには焼きそばみたいなやつの髪飾り、これらがいいとも曰く、バカ売れらしい。

渡辺直美が髪飾りを付けて、観客から「かわいー!」と黄色い声を浴びている。

私は眉をひそめずにはいられなかった。

「かわいいか!? あれ!」

先の一遍を踏まえるならば、このテレビから聞こえる黄色い声はどのようなアプローチの結果なのだろうか。神の手も手元が狂ったか、あるいはこれも神の手の指し示すことなのだろうか。

思えば、バブルの頃のプロデューサー巻きが再び流行っている。レインブーツってあれ要はゴム長靴でしょ。

「神の見えざる手」はもはや、「何処かの誰かの見えざる手」なのかもしれない。

そんな人ばかりではないだろうが、我々は焼きそばを頭にのっけてるのを見て「かわいー」と叫ぶ連中にどのようにアプローチをすればいいのだろうか。

そんな連中はほっとけばいいのか。そうだとしたら、表現は社会のサイクルにのまれてどうにかなってしまうのではないか。


刑務所の『ゴドー』のようなアングラよりもアングラ的な光景が、表現よりも表現的な光景が消えてしまうのではないか。


昼時にこんな複雑な心境になるとは思わなかった。今年度で終了する長寿番組の真価を見たような気がした。


2013.10.28 22:18 | 橋本達矢 | トラックバック(-) | コメント(0) |
僕のせいで寝たきりになった人が、ベッドの上で冷たくなっていたのを見つけたのは僕でした。
この人が苦しい顔をしながら朝ご飯を食べる所をずっと見ていたから、死んでしまった時に、少しホッとした。
そんな冷たい僕の気持ちを見透かしたのか、通夜であつまった親戚達の目は、人殺しを見る目だった。
戸棚の上の変身ベルトで遊びたかっただけなのに、僕は人殺しになってしまった。
あれからずっと、誰かの為に死ぬ事を夢みていた。
なのに、その通りに死ぬ事出来ない。
TVを見ていて、誰かの犠牲で死ぬ人を見る度に「しまった。僕が死ななきゃいけないのに」そう思っていた。
今の僕は到底、誰かの為に死ねるような生き方を出来ていない。
「死ぬ事は償いじゃない」なんて2時間ドラマでよく聞くキレイ事に醜くしがみついている僕は醜い。

あれから20年経った今、僕はまだ生きてます。
きっとこれからも生きていきます。
許されなくても生きていきます。
でも、死にたがりの自分を少しでも変えれたらいいなと、今回のお話を書きました。
僕以外の誰でもきっと、それぞれの死にたがりの自分がいる事でしょう。
貴方が死にたがりの自分と向き合うときに、ぼんやりと今回のお芝居を思い出して貰えたら光栄です。
2013.10.24 00:18 | 油人 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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